図書館員に「今女性が返したばかりの本ですが、読んでみませんか?」と声をかけられ借りることに。大館鳳鳴高校の岩木山遭難の本は40年も前に読んだことがありますが、これほど詳しくは書かれてなかったと思います。この本自体20年前に出版されたノンフィクションものですが、事細かに取材を重ねた様子が伺えます。
文中に登場する根深誠氏の講演は10年前聴いたことがあり、その時もこの件に触れていました。また一昨年、上高地で日本山岳会常務理事の成川隆顕氏のトークショーを拝聴する機会もありました。同氏は凍傷により、20本の手足指を失くされております。
深部凍傷になると、壊死を防ぐため切断を余儀なくされます。岩木山遭難での唯一の生存者は、沖縄にお住まいだそうですが、凍傷による古傷に悩まされているそうです。
遭難が起こったのは東京オリンピックを控えた1964年(昭和39年)1月で、現代のように装備や通信手段が整っているわけではないので、その点を考慮して読む必要があります。リュックはおそらくキスリングでしょう。アノラックやヤッケなど懐かしい単語も出てきます。今だと夏山装備で冬山に登るようなものです。
遭難の原因としては、無謀な計画と悪天候。でも比内のN氏が初日の集合時間に遅れなければ遭難しなかった可能性大。そして山頂の避難小屋から悪天候にもかかわらず、動いてしまったこと。捜索に関しては2点。登山口の警察の管轄違い。入山した百沢口は弘前署で長平口は鰺ヶ沢。思い込みもあり長平口の捜索に遅れ。捜索隊が素人集団で、日帰りのため山中深く入れなかったこと。
私は冬山には行きませんが、高校の時教師2人を含む4人で厳冬期の森吉山にアタックして、途中で断念したことがあります。腰以上の雪を交代でラッセルしたんですが、そのため大汗をかくことになり、今度はそれが冷えにつながり手は感覚がなくなるわで大変な思いをした記憶があります。冬山は避けた方が無難です。