その蜩の塒2

徒然なるままに日暮し、されど物欲は捨てられず、そのホコタテと闘う遊行日記。ある意味めんどくさいブログ。

青嵐の坂

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 架空の藩、扇野藩が舞台。時代背景はおそらく天保年間を想定したもの。例によって、飢饉により財政が逼迫し、再建の切り札として藩札を発行することになりますが、それを巡って富商や家老らとのかけひきが繰り広げられます。

 藩札会所が焼けた際、版木は焼失を免れたものの、兌換準備金がどうなったのか一切触れられいないのは疑問です。それと二万両もの大金でしたら、粗末な建物ではなく頑丈な錠前付きの蔵じゃないと保管はムリだと思います。

 独自の貨幣は、鉱山だけで流通する山銀、山銭と呼ばれる鉱山貨幣があります。昔は私鋳銭とか偽札が出回っていたようですが、秋田免許センターに展示してあった偽札は、全くデザインが異なるものでした。おそらくコインがメインで札はそれほど流通していなかったためと思われます。

 また、飢饉は洪水、旱魃(かんばつ)、害虫被害によってもたらされました。文中では雲賀(ウンカ)と飛蝗(ひこう)が出てきます。ウンカは、イネ科の植物に寄生する昆虫で、飛蝗はバッタのことです。凶作になると、幕府や藩が備蓄米を放出しない限り、種籾(たねもみ)まで食べてしまいますので、翌年の収穫量も減ってしまうという悪循環に陥ります。

 そして、木の根まで食べていた百姓たちが藩の薬草園で斬られてしまいますが、生き残った人らはその肉を食べたんじゃないか、という噂が広がります。いわゆるガニバリズムなんですが、戦争なんかで錯乱状態に陥った場合に起り得ます。檜慶之助は人食いの子どもじゃないかとの出生の秘密を家老らに握られ、悩みますが「力」のおかげで立ち直ることに。力に対する想いとか父子愛、夫婦愛も影のテーマとして描かれています。最後は主馬と那美の間に子どもが出来て、その前の切腹の生々しさが中和されました。

 薬草園で栽培されていたのは罌粟(けし)で、そこから阿片を作っていました。阿片は江戸時代「津軽」という隠語で呼ばれていました。弘前弘前城始め文化財建造物の宝庫ですが、もしかしたらアヘンの寄与が大きいのかもしれません。津軽漬けは好きなんですが、最近スーパーで見かけないですね。